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福岡高等裁判所 昭和25年(う)303号 判決

控訴人 被告人 稲井博

弁護人 久保田源一

検察官 坂本杢次関与

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役四月及び罰金五千円に処する。

但し本裁判が確定した日から壱年間右懲役刑の執行を猶予する。

右の罰金を完納することができないときは金二百円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

公訴事実中第三の点は無罪。

理由

弁護人久保田源一の控訴趣意は末尾添付の書面記載のとおりである。

同控訴趣意第一点について、

刑事訴訟法第三百二十二条第一項本文には「被告人の作成した供述書又は被告人の供述を録取した書面で被告人の署名若しくは押印あるものはその供述が被告人に不利益な事実を内容とするものであるとき、又は特に信用すべき情況の下にされたものであるときに限り、これを証拠とすることができる。」旨規定しているので、被告人が作成した供述書又は被告人の供述を録取した書面であつても、被告人が自ら署名し、若しくは押印することができるに拘らず、これに被告人の署名も押印(指印を含む以下同じ)も欠如するときは、その書面はもとより証拠能力を有するものとすることはできない。けだし法が前記のような書面に一定の条件の下に証拠能力を附与したのは、その署名若しくは押印の存することにより、その書面の正確性が保障されるものと推定したものと解するのが相当であるからである。

今原判決を見ると、その証拠の標目中に所論のように、司法警察員の作成に係る被告人の供述調書を挙げているから、原判決は被告人の司法警察員に対する昭和二十五年七月二十日附(検第八号の一)及び同年同月二十一日附(検第八号の二)の各供述調書を原判示事実認定の証拠として引用したものと認めるのが相当である。そこで右検第八号の一の供述調書を調べて見ると「被告人が任意左の通り供述した」旨記載し、被告人の供述を記載し、その末尾には「右録取し読み聞かせたる処誤りのないことを申立署名指印した」旨記載しているけれども同調書には被告人の署名指印は勿論押印も存しないのみならず、記録上被告人が署名又は押印をすることのできない事由も発見することができない。すると同調書は前叙説示のごとく証拠能力を有しないものといわなければならない。尤も第一回公判調書の記載によると、被告人及び弁護人は右供述調書を証拠とすることに同意していることが認められるけれども、同書面は被告人の署名若しくは押印を欠如しているに拘らず、その末尾に「右録取し読み聞かせたる処云々署名した」旨の記載している情況から見ると、刑事訴訟法第三百二十六条第一項にいわゆる「その書面が作成され又は供述のされたときの情況を考慮し相当と認めるときに限り」なる場合に該当するものとも認められないので、被告人及び弁護人において、証拠とすることに同意したからといつて、これに証拠能力があるものとすることはできない。ところで原判決は証拠能力のない右の供述調書の記載を原判示事実認定の資料に供しているのであるから採証の法則に違反して虚無の証拠を他の証拠と綜合して事実を認定し、その事実理由と証拠理由との間にくいちがいの違法を敢てしたものといわなければならない。そして右の違法が判決に影響を及ぼすことが明かであるから原判決は刑事訴訟法第三百九十七条に則り破棄を免れない。論旨は理由がある。

同控訴趣意第二点について、

しかし検察官が起訴状の朗読をした後被告人が数個の公訴事実中の或罪を全面的に肯定する供述をした場合、この供述が総括的であつて具体的でないからこれを自白として証拠とすることができないとする理由は絶えて存しないのであるから、原判決が原審第一回公判調書の記載により認められる「公訴事実中第一乃至第三はその通り相違ありません」なる被告人の供述を同事実認定の資料とするため、被告人の当公廷における供述として挙示したからといつて何等所論のような違法があるということはできないのでこの点の論旨は理由がない。

しかし、原判示第三の事実については、記録上被告人の原審における判示同趣旨の供述以外にはこれを認むべき証拠がないから、原審は被告人の自白のみを唯一の証拠として同事実につき有罪の判決をしたものといわねばならない。ところで被告人は公判廷における自白であると否とを問わずその自白が自己に不利益な唯一の証拠である場合には有罪とされないことは刑事訴訟法第三百十九条第二項の明定するところであるから、原判決には法令違反の違法があり、その違法が判決に影響を及ぼすことはまことに明かであるから原判決はこの点においても破棄を免れない。この点の論旨は理由がある。

(その他の判決理由は省略する。)

(裁判長裁判官 石橋鞆次郎 裁判官 藤井亮 裁判官 秦亘)

弁護人久保田源一控訴趣意

第一点原判決は証拠能力のない被告人の供述調書を証拠として事実認定に資した違法がある。

原判決が証拠として挙示する「司法警察員の作成に係る被告人の供述調書」は原審訴訟記録に依ると(一)昭和二十五年七月二十日附被告人の供述調書(検第八号の一)及ぶ(二)昭和二十五年七月二十一日付被告人の供述調書(検第八号の(二))を指称するものであることは明かであるが右(一)の書類には被告人の署名及び押印のいづれも存在しない、従つて刑事訴訟法第三百二十二条に於て要求せられる所定の方式に違背した無効のものであつて証拠能力を有するものではない。原判決が判示第一乃至第五の事実認定にあたつて右証拠能力のない被告人の供述調書を他の証拠と不可分的に綜合して犯罪事実認定の資料に供して居るが、これは採証の法則を誤つた違法があるもので、その違法は判決に影響を及ぼすこと明かであるから原判決は先づその点に於て破棄を免れないものと思料する。

第二点、原判決には事実の誤認がある。

原判決判示第一乃至第三の事実はいづれも各日時場所に於て連合国占領軍の財産を被告人が継続して不法に所持していたといふのであるが、全証拠を仔細に検討するも右判示事実を認定できない、即ち「昭和二十五年七月二十一日付司法警察員に対する被告人の供述調書」は判示第一乃至第三の事実に照応する証左を欠くものであり「検察事務官に対する被告人の供述調書」の記載は判示第一乃至第三の事実と全く符合せずその証拠価値はない、ただ僅かに第一回公判調書によれば被告人は「起訴状記載の公訴事実中、第一、第二、第三はその通り相違ありません」と述べているが之は刑事訴訟法第二百九十一条第二項に規定するところの被告人の被告事件についてその総括的な陳述であつて審理上の焦点を明確にする効果を有するに過ぎないものであるから、直ちにとつて以て本件公訴事実の具体的内容に関する自白として証拠とすることは被告人の当事者たる地位に鑑み極めて不当であり且違法である、尚又堀田桂介作成に係る始末書には(一)昭和二十五年六月十五日毛布(占領軍用)一枚、(二)同年七月十日冬ズボン(占領軍用)一枚を失々被告人より入質を受けた旨の記載があるが之は被告人の本件不法所持を証するための直接証拠とはならない、然らば証拠を綜合しても判示第一乃至第三の事実を合理的に納得のいくように認定することは出来ない、従つて判示第一乃至第三の事実については犯罪の証明なきものとして無罪の言渡をなすべきであるに拘らずこの点を看過してなした原判決はこの点に於ても破棄を免れない、尚仮りに右判示第一乃至第三の事実について被告人の自白があるとしても原判決に挙示する唯一の補強証拠である前掲「堀田桂介の作成に係る始末書」には判示第三の事実の客体である占領軍財産である夏ズボン一枚については何等の記載なく第三の事実に関する限り自白のみを唯一の証拠として被告人を有罪と断定した違法があることは明かであるから原判決は到底破棄を免れないものと信ずる。

(その他の控訴趣意は省略する。)

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